いつも以上に考える夏に
参院選終盤の7月8日、街頭で演説していた安倍晋三元首相が男に手製銃で殺害され、衝撃が世界を駆け巡りました。
その瞬間、私自身は埼玉県の野球場にいました。朝日新聞社主催の夏の高校野球埼玉大会の開会式に臨むためで、銃撃の瞬間はあいさつのため演壇に立った時だったようです。
式を終えて退場した時です。来賓の県知事に、付き添いの県職員がスマートフォンの画面を示しました。
「アベさんが撃たれた」知事が口にしました。アベさんって誰? 元首相と知らされた時、まさかと体が震えました。
大きな出来事が起きた時、人はどこで何をしていたかを覚えているものです。
11年前の東日本大震災が起きた時は、朝日新聞東京本社ビルで、長く繰り返す横揺れに身を任せました。27年前の阪神大震災は取材先に向かう車の中でした。
同じ年の地下鉄サリン事件は、早朝の事件取材を終えて、喫茶店で軽い朝食を食べていました。
いずれもすぐに取材に転じました。現場から離れていても、何を伝えるかの判断力が問われます。
朝日新聞社には現場から目をそらした歴史があります。第2次世界大戦で戦争を翼賛する報道をしたのです。反省が戦後の出発点です。世界平和や暴力の排除などをうたっています。
戦後77回目の夏。元首相が街頭で銃殺され、ロシアのウクライナ侵攻で多くの命が失われ続けています。いま何をしていて、何をすべきか。いつも以上に考えさせられます。
朝日新聞さいたま総局長 山浦 正敬