別人だったボクサー
駅伝のたすきを渡す次の走者が別人だったら、さぞ驚いたことでしょう。
そんな替え玉事件が起きたのは1925年の第6回箱根駅伝でした。日大の第2走者を中継地で待ち受けたのは見ず知らずの走者。事情がわからぬまま、たすきはつながれました。
しかし、こんな不正がばれないわけがありません。日大校友会神奈川県支部の資料によると替え玉は人力車夫で、他校の選手を抜く際に、仕事柄口ぐせになっていたかけ声「アラヨット!」と発したことが原因で発覚したそうです。
当時は人力車夫など脚力自慢に夜間部の学生登録をさせ、駅伝に出場させる行為が少なからずあったようです。草創期にはありがちな出来事でしょう。
一世紀近くも昔の話を持ち出したのは、ボクシングの替え玉事件が報じられたからです。5月に札幌市で開かれた興行で、それぞれナイジェリア人選手として出場し、ともに1回KO負けした2人が別人だとわかりました。
2人はプロ資格すら持っていなかったようで、事故が起きなかったのがせめてもの救いでしょうか。
ボクシングでは、2001年に東洋太平洋タイトルマッチで、84年には韓国でのIBF世界戦でも替え玉事件が起きました。情報があふれる現代で、なぜ不祥事が起きるのか。
今回の詳細は明らかではありませんが、怪しげな仲介人に選手の紹介を頼み、パスポートのチェックなどを怠った興行主と統括機関が、競技への信頼を大きく傷つけた責任は重いというしかありません。
朝日新聞論説委員 西山良太郎