入院時に全食事を撮影した訳は
この春に病気治療で1週間入院した際、すべての病院食を写真に撮りました。岩手県釡石市内で写真館を営んでいた男性から日々の記録の大切さを学んだからです。
菊地信平さんは13年前の東日本大震災で、約150日続いた避難所生活で配給された全食事をカメラにおさめました。
最初は発生した日の夜の食事です。体育館の外に作ったかまどで避難者たちが魚を焼く構図です。被災で立ち往生した輸送トラックが無償で提供してくれた貴重な食糧でした。
翌日からはパンやおにぎりです。汁ものが登場したのが半月後。次第に容器に入った調理済みの弁当が中心になりました。
写真は週刊誌で紹介され、支援者により首都圏で展示されました。避難所での食事の栄養を研究する大学にも提供されました。
まちの写真館は、学校の入学式や運動会などを撮るのも仕事です。卒業アルバムに欠かせません。本業を息子に譲った菊地さんは震災の記録に没入しました。
ダンプの荷台に乗せられて避難した子どもたち、学校の3階まで津波で運ばれた車など、被災したまちにカメラを向けました。その後も復興に向かうまちや人々を撮影し続けます。冬の寒い日でもジーパンにサンダル履きという独特なスタイルでした。
菊地さんは震災から13年を目前に突然、病で他界しました。75歳でした。最後に会ったのは去年の秋祭りです。震災を記録し続けた写真家に確かめておけばよかった。「レンズ越しに復興はどう見えたか」。
朝日新聞気仙沼支局長 山浦 正敬