難民選手団の活躍に耳をすます
バドミントン女子のドルサ・ヤヴァリヴァファ選手が、母と一緒に故郷のテヘランを離れたのは2018年11月。15歳でした。
イランではイスラム教の戒律を理由に、女性として多くの制約を受けてきた母親が、娘に宗教を変えるよう望んだためでした。
ヤヴァリヴァファ選手自身も、11歳から本格的に取り組んだバドミントンを続けることで、身の危険を感じ始めていたそうです。
雨の中、午前4時にバドミントンバックを抱えて家を出た母子はトルコやドイツ、ベルギー、フランスを1年余りも転々とした末、英国に落ち着きました。
現在は大学でスポーツ科学を学ぶかたわら、バドミントンでも頭角を現し、難民選手団としてパリ五輪への出場を手にしました。
夏季五輪では3度目の結成となる今回の難民選手団には、過去最多となる男女計37人が選ばれました。
地球上で、紛争や人権侵害で他国に逃れた人は今や1億2千万人に達しているといいます。難民選手団はそうした国際社会を映す鏡でしょう。ハート型をあしらった独自のエンブレムが今回、作られました。
ヤヴァリヴァファ選手は五輪1次リーグ初戦で、元ジュニア世界1位の選手と対戦。「たくさんの人に助けられ、素晴らしい体験ができた。難民選手団の仲間も見に来てくれて、私が前へ進み続ける原動力になった」と話しました。誰もが一人ではない――。
1次リーグ2敗で彼女の夏は終わりましたが、人権と平和主義を掲げるスポーツの祭典の意義を、彼女の言葉とともに考えます。
朝日新聞論説委員 西山良太郎