米軍ハウスから実感する日米の矛盾
正直、矛盾を実感しています。でも……。
東京・立川市に残る「米軍ハウス」で50年暮らす銅板造形作家が心境を明かしてくれました。
米軍ハウスは、戦後に進駐・駐留した米軍の家族用の住宅です。洋間の家に玄関前には庭、駐車スペースがあります。民間企業も大規模な開発をしました。朝鮮戦争やベトナム戦争のころが中心です。
その後、基地返還などに伴って空き家が増えました。そこに芸術家ら若者が移り住んでいきました。造形作家もそんな1人です。
当時はまだ、反戦や反権力を訴える学生運動が続いていました。造形作家も、旧来の価値観に対抗する「ヒッピー族」の拠点となった喫茶店に出入りしていました。
一方で、戦争を続ける米軍の軍人用住宅を住宅兼工房にし、そこで結婚し子育てします。
「コミュニティーを考えた造りなので開放的で、近所つきあいが盛ん。居心地がいいのです」
造形作家の住む米軍ハウスは7軒が長屋風に連なるタイプです。玄関前の芝生の庭も隣とは低い柵が仕切るだけです。
米軍ハウスの「負の文化」についても造形作家は語ります。軍人相手に「商売」する女性たちが出入りしていた歴史です。終戦から79年たっても、沖縄などに目を向ければ、在日米軍基地の問題や軍人による事件が相次いでいます。
「基地の歴史とつながる住宅で、日米の矛盾の中に生きている。そんな思いも伝えないといけないと考えます」
朝日新聞気仙沼支局長 山浦 正敬