唯一無二の競技人生
自分らしく生きる――。
少々おおげさですが、陸上女子100㍍障害の寺田明日香選手には、そんな地に足をつけ、道を切り開く強さを感じてきました。
小学4年で陸上を始め、高校で取り組んだハードルで一気に開花します。高校総体で3連覇、続く社会人でも日本選手権で3連覇を達成します。しかし、順風から一転。けがや摂食障害などが重なり、スパイクを脱ぐまでに追い込まれました。まだ23歳でした。
そこから立ち直ったのは目的を腑ふ分けし、整理する能力でしょうか。結婚と大学進学、出産を経て、引退から3年後には7人制ラグビーへの転向で競技生活を再開。日本代表の練習生にも選ばれました。
さらに2年後、東京五輪が迫ると陸上に復帰。日本記録を更新し、五輪では日本選手として100㍍障害では21年ぶりとなる準決勝進出を果たしました。
競技場以外にも、忘れ難い姿があります。女性蔑視につながる発言をした森喜朗五輪組織委会長に対し、寺田選手は「多様性を大切にしている現代社会においては残念」と批判。国内で関係者の多くが沈黙した中で、断固とした言葉が広く共感を集めました。
35歳で迎えた今季は、シーズン終了で一線を退くと表明しました。「引退」の言葉を使わないのは、来年以降も、子どもたちと本気で一緒に走る機会を創出していくためだそうです。
1年後、あるいは3年後にどんな自分でありたいのか。自己と対話しながらスポーツの分野を縦横に駆け巡る。誰もまねできない足跡がそこに残るはずです。者に投げかけられ、返事に窮した記憶があります。
そんなやりとりを思い出したのは、大塚製薬の2年目、女子マラソンの小林香菜選手の経歴を見たせいでした。今年1月の大阪国際女子で日本人トップの2位となり、9月に東京で開かれる世界選手権の日本代表に選ばれました。
目につくのは早大時代に体育会ではなく、同好会に所属していたことです。指導者はおらず、ホノルルマラソン完走を目指して週1回皇居周辺を走るのが活動だったそうです。
エリートランナーとは無縁の環境ですが、それを遠回りとか、無駄とは考えたくありません。
中学時代に全国都道府県対抗女子駅伝に出場した経験がありますが、高校でけがを重ねたこともあり、大学では陸上以外の進路を考えていたそうです。
しかし、これが安易に大人がひくレールを走るのではなく、自己に問い続け、熟考する時間となったのでしょう。本当は何がしたいのか、得意なのは何か。そこから選んだのが実業団でのマラソン挑戦でした。
自らつてを探し、売り込んできた小林選手の内面を見通して、同好会出身という異例の入部を受け入れた名門実業団の眼力も、評価したいところです。
自立と自律を秘めた成長の物語はやっぱり、「雑草魂」と呼びたくなります。
朝日新聞論説委員 西山良太郎