10年前の「二刀流」の写真から思う
東日本大震災の取材時から、自分で撮影したすべての写真は手元に保存しています。記録したDVD だけでも25枚を超えます。
2011年7月に撮影した5枚に、細身で長身の高校球児が映っています。野手用のグラブをはめたまま整列し、応援席に夏の甲子園出場を報告しています。
その球児が10年後、「二刀流」で大リーグをこれほど驚かせるとは想像していませんでした。もちろん大谷翔平選手のことです。スリムだった体は筋肉質に様変わりです。
ただ、振り返ると才能の片鱗をみせていました。
故障もあってマウンドではなく右翼を守る大谷選手は、ピンチの場面で、ライト前安打の打球を拾い、矢のような送球で、本塁を狙う走者を刺したのです。
大リーガーの先輩・イチローの代名詞であるレーザービームのようでした。球場がどよめきに包まれました。震災報道で岩手県に赴任していた私も、記憶に残そうと試合後にカメラを向けたのが、例の5枚でした。
新聞社ではかつて、撮影したネガフィルムを各記者が現像していました。ネガは保存し、必要な時は手作業でコマを探しました。
デジタル化で、大量のデータから瞬時に検索できるようになりました。メモも音声も同じです。10年前の大谷選手にも容易にたどりつけるのです。新聞も紙からデジタルへのシフトが進んでいます。
デジタル庁ができました。コロナ禍がIT を使う在宅ワークを一気に広げています。一方、どんな暮らしが待つのか。青写真はまだどこにもないようです。
朝日新聞さいたま総局長 山浦 正敬