伝えられた手編み靴下のお礼
1年前の小欄でした。
「コロナ禍に思う震災10年」と題して原稿を書きました。ワクチン接種が本格化したものの、ウイルスを制御できるか不安だという話です。悪い予想は変異種で現実となりました。
東日本大震災の発生から11年を前に、岩手県釡石市を訪ねました。5年前まで3年間、駐在して取材した地です。津波で約1千人の市民が犠牲になり、赴任時は被災者がまだ暮らしの復興を描けない時期でした。
今はもうプレハブの仮設住宅はありません。新しい防潮堤や高台移転地が完成して、支援や工事関係者の姿も見えません。そこに覆いかぶさるコロナ禍の不安です。面会しての取材も制限を受けました。
出張の合間に、90歳近いおばあさん宅の呼び鈴を鳴らしました。旧市立病院の元看護婦長です。
駐在していた時、筆者は寒い日はいつも同じジャンパーとズボン姿でした。寒そうに見えたのか、おばあさんがマフラーと靴下を毛糸で編んでくれました。室内用の靴下は今も、単身赴任先のワンルームマンションで履いています。
コロナ禍なので玄関先で短時間の立ち話でした。5年ぶりでマスク姿だったので一瞬誰か分からなかったようで「もしかして、あの時の記者さん?」。年齢を重ねながらも1人で穏やかに暮らしていることを知り、靴下のお礼を改めて伝えられたことで、少しホッとしました。
国内外の災害も、疫病も乗り越えられないはずはありません。新年度の始まりに、早く世界で日常が戻って欲しいと願います。
朝日新聞さいたま総局長 山浦 正敬